もぎ矯正歯科医院の歴史
このページは、もぎ矯正歯科医院 初代院長・茂木正邦についての特設ページです。
初代院長・茂木正邦について
茂木正邦がどのような思いで治療にあたっていたのか、どんな人間だったのをご紹介することで、当院の歴史や治療ポリシーを知っていただければ幸いです。
先代院長の茂木正邦の思いを胸に、スタッフ一同、一生懸命に患者さまとの信頼関係を築いて行きます。
茂木正邦先生ってどんな人?
初代院長は、東京医科歯科大学の臨床教授を勤め、数多くの歯科医師を育ててきました。臨床教授とは、実際の歯科治療を行うかたわら、大学で学生や研修医を指導するなどの教育的立場にある先生のことです。
現在では、教え子の実に約50名以上が開業医として活躍中
教え子の約50名以上が開業医として、全国各地でハイレベルな治療を行っております。教え子たちから、治療の相談を受けることもしばしば......。患者さまはもちろん、たくさんの先生方からも信頼されている先生でした。
茂木正邦の治療への思い
父の影響で歯科医になる
私が歯科医になったのは、父の影響です。同じく私の父も歯医者であり、矯正治療を千葉県でいちばん最初に行ったドクターでした。
父は本当にまじめな人でしたね。
今でもよく覚えているエピソードがあります。
それは、もう50年ほど前、私が小学3年生の頃の話です。大晦日の夜、「歯の神経が腫れてしまって痛みがひどい、今すぐ治療して欲しい」とおっしゃる患者さまがいらしたんです。大晦日ということもあり、治療を断ってもいいような日でしたが、父はその患者さまを受け入れました。治療室にすぐさま案内し、応急処置を施したんです。痛みがスッカリ取れた患者さまは本当に喜んでいたのを覚えています。
また、父は休みの日は必ず学会に出席していましたね。多くの患者さまに信頼されるようになってからも、勉強を欠かしませんでした。おかげで今でも「あなたのお父さんの治療はすばらしかった」とおっしゃってくれる患者さまもいるほどです。
決して患者さまを裏切らなかった父。常に患者さまのことを考えていましたよ。私の治療の根底にあるのは、そんな父の後姿があると思っています。
矯正治療は、患者さまの人生がかかっている
「神様お願いします、どうかこの患者さまの治療がうまくいきますように」患者さまを治療しているとき、私はいつも神様にお願いしています。技術を磨き、多くの症例を経験してきた今でもです。やはり、治療でも何でもそうですが、仕事には謙虚さが大切だと思うんですね。「自分は何でもできる」という医師の慢心が、いちばん危険です。
確かに、医科医師と違って、歯科医師は人の命を救うことができません。しかし、患者さまを幸せにできるという点では、同じだと思っています。
教え子の先生からの声
私の恩師です。私が思う一番矯正臨床が上手な先生で、説明をしっかりしてくださる優しい先生です。ぜひ一度相談してみてください!(大坪矯正歯科医院 大坪邦彦先生)
【関係】
東京医科歯科大学歯学部矯正学教室に入局後、4年間臨床を教わった恩師。矯正臨床を勉強するうえで、もっとも影響を受けた先生。研究においても大変お世話になりました。
【すごいと思ったところ】
治療に対するきびしい目、最後の最後まで妥協しない治療、仕事の丁寧さ。大学のなかで、最も臨床が上手な先生だったことは間違いないと思います。また、後輩を指導する際の愛情の深さ。「教育は愛なんだな~」(笑)とつくづく思いました。
【ここだけは直して欲しい! 】
あまり時間を気にしないところ。常に治療に集中するためか時間を忘れてしまうところがあったのだと思います。しかし、茂木先生の患者さまは、長時間待たされても文句を言う人はいませんでした。
【思い出に残っている言葉】
「矯正治療に終わりはない」―
動的矯正治療が終了しても、咬み合わせは常に変化するので、矯正家が長期間患者さまの咬み合わせを管理するべき。
「弱い力で歯は動く」―
歯根、歯周組織に負担をかけない矯正治療を徹底的に教わりました。
大坪矯正歯科医院 大坪邦彦先生
【経歴】
- 1987年3月:日本歯科大学歯学部卒業
- 1987年4月:東京医科歯科大学歯科矯正学第一講座入局
- 2001年4月:東京医科歯科大学歯学部第一講座文部教官講師
- 2003年4月~:大坪矯正歯科医院院長、東京医科歯科大学歯学部非常勤講師
- 2005年4月~:港区麻布赤坂歯科医師会理事
【資格】
- 日本矯正歯科学会認定医(第136号)
- 日本矯正歯科学会指導医(第494号)
- 日本矯正歯科学会専門医(第203号)
とても丁寧に治療される先生ですので、気になっていることを何でも相談してみてください(医療法人社団 宇治矯正歯科クリニック 宇治正光先生)
【関係】
東京医科歯科大学歯科矯正学講座入局時の指導教官
【すごいと思ったところ】
・医局時代に2Fの診療フロアーから12Fの研究室までエレベーターを使用せずに階段を駆け上がっていたこと。
・矯正治療に取組む姿勢として、すべての症例に対し、常に最善の選択肢を検討し、第三大臼歯をも含めて抜歯/非抜歯を慎重に考慮していること。また、痛みに対しても非常に優しい矯正力を選択している。
【ここだけは直して欲しい! 】
あえて言うとすれば、話がくどいことがある(笑)
【思い出に残っている言葉】
「易しい症例なんてない」―
どんな患者さまにでも、親身になってくださる先生です。ぜひ、ご相談なさってください。(さいとう矯正歯科 院長 齋藤 壽彦先生)
【関係】
東京医科歯科大学時代にご指導いただいた臨床教授
もぎ矯正歯科医院に勤務させていただき、ご指導いただきました。
【すごいと思ったところ】
いろいろな手法を用いて、治療にあたっておられるところ。
新しい治療法にも柔軟に対応されているところ。
寛容であり、ふところが深いところ。
【ここだけは直して欲しい! 】
全くありません!
【思い出に残っている言葉】
患者さまのお気持ちをとことん聞かなければならないとおっしゃっていたところ。
茂木正邦プロフィール
初代院長:茂木 正邦
生年月日:1949年4月30日
所属学会
- 日本矯正歯科学会
- 東京矯正歯科学会
- 日本口蓋裂学会
- 日本顎変形症学会
- 日本接着歯学会
学歴
職歴
1976年4月 | 東京医科歯科大学歯学部付属病院医員 |
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1980年4月 | 東京医科歯科大学助手(文部教官) 筑波大学付属聾学校歯科技工科非常勤講師併任 |
1985年4月 | 東京医科歯科大学講師(文部教官) |
1989年4月 | 東京医科歯科大学付属歯科衛生士学校非常勤講師併任 |
1990年12月 | もぎ矯正歯科医院開設・院長 |
1999年1月 | 医療法人社団愛悠会もぎ矯正歯科医院・理事長 東京医科歯科大学歯学部臨床教授(歯科矯正学) |
2000年4月 | 東京矯正歯科学会副会長 |
免許・資格
- 昭和49年5月 歯科医師国家試験合格(第6642号)
- 昭和57年4月 歯学博士取得(MMA-TBBレジンの歯科矯正学的研究)
- 日本臨床歯科医会会員
- 日本矯正歯科学会認定医
- 日本矯正歯科学会指導医
- 日本矯正歯科学会専門医
賞罰
1987年 HitoSuyehiro's Memorial Award(ヒト・スエヒロ記念賞)
※日本からアメリカ矯正歯科医会年次大会で発表した演題のなかで、その年の最優秀演題に送られる賞。
1989年 Joseph E.Johnson Table Clinic Award(ジョセフE.ジョンソンテーブルクリニック賞)
※アメリカ矯正歯科医会年次大会のテーブルクリニック部門で最優秀の演題に送られる賞。1989年はアメリカ国内はもとより、ヨーロッパ、アジアなど各国から155の演題発表があり、その中から茂木正邦は第一位に選ばれました。写真は学会代表から賞を授かる茂木正邦(写真右から2番目)
認定医・指導医・専門医。3つの資格を持っていた先代院長
一口に矯正歯科医と言っても、その技術・経験には大きくレベルの差があります。とはいえ、一般の方にとって歯科医師の技術レベルはなかなか分かりにくいもの。そこで、ひとつの基準となるのが、学会から認定される「専門医」などの認定資格の有無です。
茂木正邦は、日本矯正歯科学会から認定されています。
「認定医」とは?
5年以上「日本矯正歯科学会」に属し、学会が認めた大学の附属病院や矯正歯科医療機関において5年以上にわたる経験が必要です。また、学術誌に報告を発表。審査に合格した者に与えられます。
「専門医」とは?
専門医になるためには、認定医であり、認定医資格を取得後、2回以上更新試験に合格していること。また、最近10年以内に矯正臨床に関する論文、著書または学会発表があること。また、症例の提示と試問審査に合格し、さらに、学術大会においてこれらの症例報告を行う必要があります。日本矯正歯科学会専門医は全国にわずか300人ほどしかいません。これは矯正歯科医師全体の、わずか1.5%です。
「指導医」とは?
矯正の認定医を育成する資格です。12年以上の矯正治療経験をもち、認定医取得後、大学病院で3年間の教育歴がなければ取得できない資格です。現在、日本矯正歯科学会指導医は、全国で600人ほどしかいません。